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東京高等裁判所 昭和53年(う)2105号 判決 1980年9月02日

被告人 高原邦夫

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

原審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

押収してある鉄製ダンベル一個(当庁昭和五三年押第七四八号の一)を没収する。

原審及び当審における訴訟費用は原審鑑定人大塚俊男及び当審鑑定人逸見武光に支給した各鑑定料を除き被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官検事中野林之助が提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

所論は、事実誤認の主張であり、要するに、原判決は被告人が公訴事実記載の殺害行為をしたことは明らかであると認定しながら、「被告人は、本件当時は、軽度な欠陥を伴う精神分裂病が再発しており、本件殺害行為はそれにもとづく衝動行為として行われたのではないかという疑いが強い」すなわち「心神喪失の状態にあつた疑いが濃く、犯罪の証明がないことに帰する」として無罪の言渡をしたが、これは証拠の評価を誤り、被告人の責任能力を否定したものであつて、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調の結果をも併せ検討すると、被告人が、公訴事実記載のとおり、昭和五二年二月一九日午前一一時二二分ころ東京都江東区塩浜二丁目一七番一一号の自宅六畳間で鉄製ダンベル(重量約四・四五キログラム)で就寝中の実父高原仁保(当時七〇年)の頭部を四回位強打して同人を殺害したことは証拠上明らかであるところ、原判決は、所論指摘の理由によつて被告人の責任能力を否定したものであるが、当裁判所は、前記関係証拠に照し、本件当時被告人は心神耗弱の状態にはあつたが心神喪失の状態にはなかつたと認定するのが相当であると解する。以下にその理由を述べる。

まず、原審第二回公判調書中の被告人の供述記載、被告人の検察官に対する昭和五二年二月二八日付及び司法警察員に対する同月二〇日付(一二枚綴り)、同月二四日付各供述調書、原審第二回公判調書中の証人高原明子、同第四回公判調書中の証人棚橋鉦三の各供述記載、高原昌彦、高原明子(二通)、山本正八、関信男の司法警察員に対する各供述調書、原審鑑定人大塚俊男作成の鑑定書を総合すると、被告人は、中学校卒業後就職したものの昭和三〇年ころ精神に変調をきたし、精神分裂病の診断により約一年間東京都三鷹市の井之頭病院で入院治療を受け、その後も昭和四〇年五月二〇日から昭和四一年三月三〇日まで、同年一一月九日から昭和四二年七月一三日までそれぞれ精神分裂病の診断のもとに東京都足立区の医療法人財団厚生協会東京足立病院(以下足立病院という。)で入院治療を受けたこと、右退院後千葉県勝浦市内で働くうち、昭和四四年四月趙明子と見合い結婚をし、同年一二月ころ東京都江東区塩浜二丁目一七番一一号の父高原仁保の許に戻つたが、同人は若いころ朝鮮から来日して日本に帰化し、二度の結婚に失敗してやもめ暮しをしていたものであり、その性格は頑固で近所付合いもしない変り者であつて、被告人らと同居しても食事は別にとり、まともに顔を合せることも話をすることもなく、また被告人の妻明子が朝鮮人であることを嫌つて被告人夫婦にいやがらせをしたり、明子に暴力を振うなどといつた状態が続き、幼少の頃からひたすら父に従い、かつ同人に愛情をも持つていた被告人は、父と妻との間に立つて悩むなどして不眠に陥り、昭和四八年五月ころかみそりで頸部及び手首を切つて自殺を図り、約一か月間の入院生活のあと父と別居し、妻及び二人の子供とともに東京都荒川区南千住で間借り生活に入つたものの、別居した父の生活に対する心配が募るなどして同年一二月には不眠、易怒的になり、妻子を残して一人で父の許に帰り、妻とは同月離婚したこと、その後昭和四九年二月突然バツトで他人の車のバツクミラーを壊して警察の取調を受け、同月八日から同年三月三日まで精神分裂病の診断により足立病院で入院治療を受け、同年四月離婚した明子に頼み込んで再婚したうえ再び妻子とともに父の許で生活し、会社勤めを始めたが、父と被告人夫婦の関係は依然として改善されず前と同じような状態が続き、昭和五〇年二月ころから不眠、幻聴に悩ませられるなどまたも精神に変調をきたしたため、今度は妻が子供を連れて家を出てしまい、同年四月再び離婚するに至つたこと、そのころ被告人は他人の家に無断で侵入するなどして警察に保護され、同月一七日足立病院に入院し、同病院医師関信男の非定型精神病兼てんかんとの診断に基づき向精神薬療法などの治療を受け、その間一回てんかん発作を起して倒れたこともあるが、同年八月ころから症状が好転して昭和五一年四月一一日退院し、以後月一回位の割合で足立病院に通院して治療を受け、向精神薬の服用を続け、またカウンセラーの指導を受けるとともに、同年五月から東京都墨田区の富士屋産業株式会社東京流通センターに就職して、荷揃えの作業に従事してきたこと、そして被告人は、父が相変らずかたくなな態度をとつているため食事は別々にし、話も殆んど交さず、週末には東京都荒川区のアパートに離婚した明子を訪れて一泊し、子供らの遊び相手になる等の生活を続けていたところ、同年一一月頃から積極さがなくなり、幻聴があつたり、妻に不満を感じたり、職場で同僚から意地悪される等の関係被害妄想を生じ、一方父からは妻のもとに通うのをやめて日本人と結婚するようにいわれて悩み、同年一二月ころ幻聴は投薬の変更により治まつたが、その後昭和五二年二月一六日ころから後述のとおり不眠に陥るなどし、ついに同月一九日午前一一時二二分ころ父を殺害するに至つたことが認められ、また原審記録及び被告人の当審供述、当審証人関信男の証言によると、被告人は、起訴後東京拘置所に勾留されて原審審理を受けるうち、昭和五二年八月二二日ころから精神状態に変調をきたし、不眠を訴え、幻覚、妄想が現われ、支離滅裂な言葉を発するなどしたため公判手続が停止され、勾留執行停止のうえ同年一〇月三一日から昭和五三年五月八日まで東京都練馬区の大泉病院で入院治療を受けたこと、その後保釈されて前示明子方に居住し、新しい職場を見つけて通勤しており、現在前記足立病院に通院し向精神薬は服用しているものの関医師やカウンセラーの指導のもとで安定した精神状態にあることが認められる。

以上のとおり、被告人は、昭和三〇年ころから精神病院への入退院をくり返してきたものであるが、その病名が精神分裂病であるか非定型精神病であるかについては、被告人の治療に当たつた医師や原・当審における鑑定人の間でも見解が分かれ、原審鑑定人大塚俊男及び前記大泉病院で被告人の治療に当つた医師磯野五郎は精神分裂病とし、起訴前の簡易鑑定をした医師市川達郎及び当審鑑定人逸見武光並びに前示足立病院において現在も被告人の治療に当つている医師関信男は非定型精神病とするそれぞれ異なつた鑑定意見を提出し、あるいは原・当審においてその旨の証言をしている。ところで、関係証拠によれば、非定型精神病は急性に発病して数時間から数ヶ月症状が続いて収まる插間性、周期性の経過をとり、発病時には様様な分裂病様の症状を呈し、意識障害を伴い、脳波異常を認めることが多いが、予後殆んど人格荒廃を示さないという性質をもつ精神病群であるとされ、その約半数においては発症に際して家庭内葛藤等の精神的動機が認められるといわれているところ、医学上右のような特質をもつ精神病群も精神分裂病に包含されるとして非定型精神病という病群を認めない立場もあるが、人格が次第に荒廃して行く精神病であるかそうでない精神病であるかを区別することは精神医学上有効であるばかりでなく刑法上も責任能力を判断するに当たり有用であるので、精神科医間でほぼ一般化されているように、両者を区別するのが相当であると解されるところ、これを本件についてみると、被告人のこれまでの精神病症状は後記のとおり意識障害を伴う精神分裂病様のものではあるが、それは比較的に急激に現われ、かつ、短期間で消褪するものであること、寛解中は転職を繰り返しながらも通常の社会生活を送つてきており、第一回の入院から現在まで約二十数年を経ているのに精神的反応がやや遅鈍であるとの欠陥を徐けば格別の人格欠陥も人格荒廃も認められないこと、脳波に軽度のてんかん性異常があること、各発病が被告人の家庭内の、特に父との精神的葛藤を原因としていると認められることなどを併せ考え、被告人の精神病は非定型精神病であると認定するのが相当である。(もつとも精神分裂病説をとる大塚

俊夫の鑑定書によると、被告人の発病に際して精神的動機が原因になつているとは考えにくく、むしろ発病の徴候が現われ始めると家庭や会社の問題を含めて自分の置かれた立場、境遇を悩むという経過が認められるとしているが、関係証拠を精査すると、被告人は家族特に父との関係において精神的緊張や葛藤が高まつたときにそれを原因として発症していることが多いと認められるから、大塚鑑定書の前示意見は採用しない。)

そこで次に、本件行為当時被告人は発病していたかどうかについて検討すると、被告人の精神状態をし細に観察し治療に当たつてきた前示関信男の司法警察員に対する供述調書及び同人の原審公判調書中の証言記載部分などによれば、被告人の病状は、躁状態において興奮、易怒性、暴行性を示し、うつ状態において無為、自殺念慮が発現するとともに、いずれの場合も不眠に陥り、幻聴、被害妄想が出没するという精神分裂病様のものであり、これまで発病、入院を繰り返した状況は、一時的な不安、被害的観念が数日続き衝動的な行動があり、入院すれば二、三日のうちに表面的には落ちつくという経過をたどるのが常であつたことが認められ、また原審第二回公判調書中の被告人の供述記載、被告人の検察官(二通)及び司法警察員に対する昭和五二年二月二〇日付(一二枚綴り)、同月二四日付各供述調書、原審第二回公判調書中の証人高原明子の供述記載によれば、被告人は、昭和五一年一一月ころから積極性がなくなり妻のところに来ても寝ころんで何もせず、妻に対する不満を覚えたり職場での関係被害妄想を抱いたり、エレベーターから突き落す等の幻聴があつたりしたが、一方父から、明子のアパートに通うことをやめて日本人と結婚しろなどと言われて悩み、前叙のとおり、同年一二月末には幻聴は投薬の変更により消失したが、さらに昭和五二年一月中旬ころ高齢の父が病気で寝込んだときのことを心配して父に対し明子と再婚して家族ともども父と一緒に暮したいと申し出たところ、これを拒否されたうえ棒で腕を殴られた等の経緯があること、同年二月初旬に父がかぜを引き仕事を休んで寝込んだため老齢の身を案じて医師の治療を受けることを奨めたが、父はこれを無視し枕もとに酒びんを置いて朝から冷酒を飲むという有様で、そのうちに被告人自身もかぜにかかつて同月一〇日から会社を休み、翌一一日から一三日まで明子のアパートに泊つたが、普段に比較して口数が少なく、子供とも遊ばず、沈み勝ちで無気力になつていたこと、その後同月一四日から毎日会社に出勤し、同月一六日仕事を終えて帰宅した際、父が相変らず酒を飲みながら寝ているので、「どうして医者に行かないんだ。」などと言い争いをし、さらに何とか食事をさせようと思い父のためにみそ汁を作つてやつたが、父がこれに手をつけようともしなかつたことなどからいらいらした気分になり、またこのような状態では自分が精神的に参つて病気が再発し、妻や子供に会えなくなつてしまうなどと不安にもなり、これまでも父の意地悪な仕打のため妻と離婚することを余儀なくされるなど散々悩まされてきたが、このまゝでは自分の生活が破壊されてしまうので、いつそ一思いに父を殺して自殺しようとの気持が脳裏をかすめるなどして、その夜は安眠できなかつたこと、このような、父に対する憎悪の気持や自己の病気の再発に対する不安感、絶望感などからする不眠状態は同月一七日、一八日も続き、特に一八日の夜中には戸外へ用便に出て倒れた父に呼び起こされ、抱きかゝえて屋内に入れようとしたのに父がわざわざと足を踏んばつて抵抗する等のこともあつて眠られぬまゝ一夜を過し、同月一九日朝は会社へ出勤する気にならず、ベツドの中で父のことなどをあれこれ考えるうち、自室内のボデービル用の鉄製ダンベルが目につき、にわかに殺意を生じ本件行為に及んだことが認められ、以上を総合すると、被告人は、本件当時非定型精神病の症状としての神経衰弱状態ないし抑うつ状態にあつたと認定するのが相当である。

もつとも原審鑑定人大塚俊男作成の鑑定書及び同人の原審公判調書中の証言(以下大塚鑑定という)によれば、被告人は本件犯行当時精神分裂病に罹患し、神経衰弱状態ないし抑うつ状態にあつたとするのであるが、原審及び当審証人関信男の各証言(以下関証言という)、市川達郎作成の精神衛生診断書及び同人の原審公判調書中の証言(以下市川鑑定という)、当審鑑定人逸見武光作成の鑑定書及び同人の当審公判廷の各証言(以下逸見鑑定という)によれば、前示のとおり本件の場合を含め、被告人は従前の病状において寛解時に人格の欠陥ないし荒廃を殆ど示したことはなく、また後記のように本件当時大塚鑑定にいう被害念慮や妄想はなかつた等のことが認められ、これらの諸点から本件当時被告人の呈した神経状態は非定型精神病に関連する性質のものと解すべきであり、前記大塚鑑定の見解は採用しない。

また市川鑑定、逸見鑑定によれば、被告人は本件当時神経症状態にあり、著しい心理的不安定さの故に非定型精神病に発展する可能性はあつたが、いまだ精神病状態に入らない段階にあつたとし、特に逸見鑑定は、本件当時の被告人の精神的な葛藤は、元来生真面目、小心、過敏で人格発達の未成熟な被告人が父に密着、従属して独立できない状態に加えて、韓国出身でありながら韓国人を嫌う父のもとで韓国人を妻とした被告人が主としてその父を対象として起していたもので、父・息子二代にわたる日本人と韓国人という国民ないし民族としての自己同一性の混乱を内に秘めた心の葛藤として極めて深刻な神経症状態を示すが、なお精神病状態に入つていないし、本件では被告人の精神的葛藤は右にゆれ左にゆれ数一〇時間続いた末の事件であるから、一般に衝動行為と呼ばれるものに当らない、というのであり、これに対し関証言は、本件を単なる神経症的な悩みの中で思い余つてやつた情動行為とみるには父親との葛藤は今更始まつたものでなく、神経症の原因として弱く、神経症であるとすれば悩みが複雑であり、神経症としての人格に基づく意識の継続があるはずである、とするところ、逸見鑑定もいうように非定型精神病は生理的、心理的に不安定な者が発病するものであるから、その前駆症状として神経症の状態がありそれが精神病の状態に入つて行くという点でその症状は進行して動いて行く状況にあり、どの時点から精神病が発症したかの判定は甚だ困難であり、後にも触れるように本件犯行については動機との結び付きが、若干不明確な点があり衝動的ないし短絡的なところも認められるばかりでなく、右関信男医師は既に昭和五〇年四月以降の第三回目の足立病院への入院の頃から主治医として少なくとも月一回被告人の診察を続け、既往の病歴や被告人の精神的な悩み等についても相談を受けこれを熟知し、従つて本件についても従前の発病の状況と具体的に対比し検討したうえで前示の判断を示しているのであるから同証言によつて前示のとおり本件当時被告人には、非定型精神病が発症していたものと認定するのが相当である。

そこで進んで本件当時被告人に是非善悪を弁識する能力やその弁識に従つて行動する能力があつたか否かの点について検討すると、非定型精神病が発症したとしても前示のような非定型精神病とその前駆症状との関係に照すと、その病状には例えば、行為者の心理状態に質的な変化が生じているか否か、あるいはその症状が神経症様のものか幻聴、妄想等の異常体験を伴うものか、あるいはそれが神経症様のものであるとして強烈であるか否か、さらには当該行為が神経症様状態下でなされたとして衝動行為と認められるか否か、行為時における意識障害の有無等種々の点において程度の差があり得るから、当該行為者が刑法上心神喪失の状況にあつたか否かについては、非定型精神病の症状が認められるとの一事によつて心神喪失の状況にあつたと即断すべきでなく、病状の程度に着目しつつ動機の有無、行為態様、行為前後の言動等をも考慮して慎重な判断をなすべきであると考える。そこでこれを本件についてみると、原判決は、被告人には父に対して愛情相半ばする心理的葛藤があつたこと、そのことが自己の病気を再発させるのではないかと恐れていたことは動機として了解できないことではないが、このような心理的葛藤や恐れを生ずる素地は本件当時に特有のことではなく、以前にもあつたことであるうえに、その直前にそれが殺意にまで増幅されたと認められるような直接的、間接的な事情はなく、いかにも唐突に実行されており、殺害行為自体にみられる残忍さをも合わせ考えると、むしろ動機として了解困難である旨説示しているところ、被告人は殺害行為直前までベツドの中で横になつていたもので、それが突然起き上つて父の寝ている部屋へ行き父を殺害したという点は、確かに唐突で衝動的、短絡的であり異常さを感じさせるが、昭和五一年年末から昭和五二年一月にかけて父との間に明子との再婚をめぐつて前叙の、国家的、民族的問題を内に秘めた、かなり厳しい葛藤があり、他方その父がかぜを引いて何日間も寝込むという老齢ゆえに病死にも直結しかねない状況が起り、にもかかわらず被告人の父のためを思つてした前叙の忠告や行為を父が無視するなど被告人と父との間には従前に比して強度な葛藤、緊張関係が認められるのであつて、このような状況の下で、被告人の思考は二、三日前から激しくゆれ動き、このままでは自分が精神的に参つてしまうとか、一思いに父を殺して自殺しようなどとの考えが浮んだこともあり、あれこれ思い悩むうちに本件行為に出たのであるから、動機が全く了解不可能であるとも、本件行為が全くの衝動行為であるともいえない。そして、関係証拠によつて認められる以下の諸事情すなわち、被告人の当時の症状は神経衰弱ないし抑うつという神経症様状態にとどまり、被告人自らが供述するように未だ幻聴、妄想等の異常体験は出現していないこと(被告人は、原審大塚鑑定人に対し、「二月一七日夕方台所に水を飲みに行つた際、父から秘密があるのかと言われて、自分が何か悪いことをしているように言われたと感じた。」「翌一八日夜中戸外へ用便に出て倒れた父を家に入れてふとんに寝かせた際、お前はよく寝ているなと言われて、それが気になつた。」などと述べているところ、大塚鑑定は、ここに一種の被害念慮又は妄想が認められるのではないかとの疑問を呈しているが、被告人の右思考内容又は反応は、これを父の発言内容と対比してみると必ずしも不自然でなく、被告人自身異常体験を否定している点をも考慮すると、被害念慮又は妄想の出現はこれを否定すべきである。)、被告人は殺害行為を詳細に記憶しており、意識障害は認め難いこと、その行為態様は、鉄製ダンベルの分銅をスパナを用い一方に寄せて殴りやすいようにしたうえ、急所である頭部を強打したものであつて、冷静かつ周到に行われていること、被告人は殴打後父が即死したものと思つて自ら一一〇番に電話を入れ、間もなくかけつけた警察官から、「誰がやつた。」と聞かれたのに対し、「私が親子げんかで口論して、あのダンベルで殺そうと思つて頭を四回殴りました。」と答え、素直に逮捕に応じたものであり、そこに何らの異常さも認められないことなどをも併せ考えると、被告人は、本件行為当時是非善悪の弁識能力及びこの弁識に従つて行動する能力を完全には欠いていなかつたと認定するのが相当である。そして前叙のような被告人の犯行前の厳しい精神的葛藤、緊張状態に照すと、被告人の神経衰弱ないし抑うつ状態は相当程度のものであつたと推認され、また前示のような犯行に至る経過の唐突さ、衝動性や犯行の異様なまでの冷静さを否めないところであるから本件当時被告人の右の各能力は著しく減弱していたものと認められ、刑法にいわゆる心神耗弱の状況にあつたというべきである。

以上のとおりであるから、本件犯行当時被告人の責任能力を完全に否定した原判決には事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して当裁判所においてさらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、東京都江東区塩浜二丁目一七番一一号の実父高原仁保方において、同人とともに生活していたものであるが、被告人には非定型精神病の病歴があり昭和三〇年頃から数回にわたり精神病院に入退院し、その後も通院して投薬を受けていたものであるところ、被告人は幼少の頃から父に密着、従属した心情をもち、一方右仁保は韓国から日本に帰化したものであるのに韓国人を嫌い、昭和四四年四月被告人が韓国人の女性と結婚したことを不満として以来被告人夫婦に意地悪く当り、被告人の妻に暴力を振うなどし、そのため父への愛情も濃い被告人は父と妻の板ばさみになつて悩み、妻と離婚、再婚を繰り返し、その間精神的葛藤からする前記精神病の再発で入院し昭和五一年四月退院後は荷物集配センターに勤め、週末に別居中の妻子のもとに泊る生活を続けていたが、頑くなゝ父は依然として被告人と妻子との再婚同居を承諾しなかつたところ、昭和五二年二月初旬から父がかぜを引いて寝込み、被告人がその身を案じて医師の治療を受けることを奨め、あるいはみそ汁を作つてやるなどしたのに、ことさらこれを無視し、満足な食事もせず却つて朝から冷酒を飲むとの態度に出るなどしたため、被告人は同月一六日ころからいらいらした気分になり、このような状態では自分の精神病が再発し、そうなつては妻子にも会えず父の面倒も見られないと不安になり、またこれまでの父の意地悪な仕打のため妻と離婚を余儀なくされるなど散々悩まされこのままでは自分の生活が破壊されてしまうから、一思いに父を殺して自殺しようかと考えるなど種々の思いにかられて不眠に陥り、同月一九日朝も自室のベツドの中であれこれ考えるうち、自室内にあつた鉄製ダンベル(当庁昭和五三年押第七四八号の一)に気付き、突然父を殺害しようと決意するに至り、右ダンベルの分銅をスパナを用いて一方に寄せ、これを持つて同人の寝室まで行き、同日午前一一時二二分ころ、同所において、ふとんに横向きに寝ていた同人(当時七〇年)の頭の後にまわり、右ダンベルを振り上げ分銅部分でその頭部を四回位強打し、よつて、同日午後三時二分ころ、同都江東区豊洲町四丁目一番一八号豊洲厚生病院において、同人を左頭部打撃に基づく脳損傷により死亡させて殺害したものであり、被告人は、右犯行当時非定型精神病の発病により心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

なお、原審弁護人は、本件犯行当時被告人は精神分裂病に罹患していたため心神喪失の状態にあつた旨主張しているが、前叙したところよりこれを採用することはできない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条により原審における未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入し、なお、本件は老齢の実父を残忍な方法によつて殺害したという重大事犯で、社会生活上の基本的道義に反する犯行であるが、本件の遠因をなした被告人と被害者との間の長期間にわたる葛藤、緊張関係は、主として被害者の前叙のような問題行動から醸成されたのであつて、被害者にも責められるべき点があり、一方被告人の被害者に対する憎しみの情は否定できないとしても、被告人は同時に被害者に対しそれ以上の愛情を抱き、離婚した妻及び子供らと一緒に生活したいとの気持をも押えて被害者と同居し、その身を気遣うなどしてきたもので、同情の余地が十分にあること、本件犯行は被告人の正常な意志に基づくものではなく、精神病の発病中にその影響を受け是非善悪の弁別能力、行為統御能力が著しく減弱した状態の下で行われたものであるから、理性的、道徳的な行動をとらなかつたことをもつて被告人を厳しく非難することはいささか酷であること、被告人には前科がなく、現在離婚した妻及び子供らと安定した家庭生活を営み、真面目に仕事に励んでおり、また前示足立病院に通院し関信男医師により従前通りの治療と指導を受け平静に過していることなど諸般の情状にかんがみ、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、押収してある鉄製ダンベル一個(当庁昭和五三年押第七四八号の一)は判示殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文を適用して原審鑑定人大塚俊男及び当審鑑定人逸見武光に支給した各鑑定料を除き被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 千葉和郎 神田忠治 中野保昭)

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